鳶職人の歴史と今後の見通しを紹介。今の足場は昔に比べて安全です!

こんにちは。

群馬県前橋市に拠点を置き、改修足場や解体足場などの各種足場工事を手掛けているU・Sホールディングです。


高所での作業や足場の組み立て・解体を担う鳶職人は、建設現場に欠かせない存在です。もちろんこれは現在だけの話ではなく、鳶職人は昔から多くの現場で活躍してきました。昔の鳶職人は、一体どんな存在だったのでしょうか。また、今後はどうなっていくのでしょうか。ここでは、鳶職人の歴史と今後について解説します。




■鳶職人は華の三職! 火消としても活躍していた



鳶職人に相当する職業は古くから存在していましたが、「鳶職」と呼ばれるようになったのは江戸時代以降です。現在でも林業やアウトドアなどで使われることがある「鳶口」を基本装備としていたことから、鳶職と呼ばれるようになったと考えられています。


江戸の町の人口は18世紀初頭に100万人を超え、世界最大級の都市になっていました。拡大を続ける江戸において、建設業は重要な産業となっており、必然的に鳶職人の活躍の場も増加。大工や左官と並んで「華の三職」と呼ばれ、みんなのあこがれの職業だったのです。


さらに給料も高く、江戸の町人の平均的な日給が300文程度だったのに対し、鳶職人や大工は400文~600文ももらっていました。もちろん、そこに至るまでの下積み時代は厳しく、一人前になるまで10年はかかり、脱落してしまう人も大勢いるほど。苦労して身につけた技術で江戸の町を作っていたわけですから、高い給料も当然といえるでしょう。


そんな鳶職人は、消防組織である「火消」としても活躍していました。「なぜ鳶職人が?」と思うかもしれませんが、当時の消火活動は火を消すのではなく、延焼しないように周囲の建物を壊す「破壊消防」が主体。これは建物の構造に詳しく、しかも身軽に飛び回れる鳶職人にはうってつけの役割だったのです。彼らは江戸の町をつくるだけでなく、命がけで守っていたのでした。




■最近は足場の安全性も強化されています



鳶職人の仕事には、どうしても「危険」というイメージが付きまといます。確かに、高所での作業がメインである以上、安全には最大限に配慮しなければなりません。しかし現在では、昔に比べると安全性は大きく高まっています。なぜなら、作業に使う足場が進化しているからです。


昔の足場といえば、木材を使った「丸太足場」でした。丸太足場は、今でも京都では技術継承のために残っていますが、他の地域ではほとんど見られなくなっています。丸太は材質が一定でないため強度計算がしづらく、木材ゆえに劣化が早く、材料を置くスペースも狭いといった問題があるからです。


そのため、1950年代には「鋼製足場」が登場し、丸太足場を駆逐。そして現在では、より安全で使いやすくなった足場が普及しています。強度が高く幅も広がり、今後もさらに足場は改良され、現場の安全性は日々強化されていくでしょう。




■機械には職人技は無理! 将来にわたって重宝されます



最後に、鳶職人の将来性について考えてみましょう。現在、多くの分野では機械化が進んでおり、建設業界も例外ではありません。そのため、「職人の仕事も機械に取って代わられるのではないか?」「今から鳶職人になっても将来仕事を失うのでは?」と不安になる方もいるでしょう。


しかし、心配する必要はありません。というのも、鳶職人の仕事は現場に合わせた微調整が必要な分野なので、機械化が非常に難しいからです。むしろ、技術の発達によって職人の仕事が効率化され、より働きやすくなって活躍の場が広がるという考え方もあります。少なくとも、最新技術と職人技は対立するものではないとみていいでしょう。


そして、鳶職人はどの現場にも必要な存在です。建物の新築、リニューアル、改装、塗装……どんな工事も、足場がないと作業を始めることすらできません。今、職人の道に足を踏み入れて技術を身につければ、将来的にはきっと重宝される職人になれます。将来にわたって安定して働きたい方は、今から鳶職人を目指してみてはいかがでしょうか。



U・Sホールディングでは、一緒に働いてくださる方を募集しております。未経験の方でも安心してご入社いただけるよう、教育体制や安全対策を整備。キャリアアップに欠かせない資格取得支援もあり、将来的な独立を目指している方にはそのためのサポートも行います。ご興味のある方はぜひご応募ください。皆様と一緒に働ける日を楽しみにしています。